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冊子「長坂町50年の歩み」から

昨年合併直前に発行、各戸配布された冊子中のオオムラサキ関係の特集記事で30年の流れを知ることができる。
c0041095_11593045.jpg昭和50年、県で日野原の県有林0.5ヘクタールを「自然記念物・日野原のオオムラサキ及び生息地」として自然環境保全地区に指定 昭和54年4月、乱獲から守るため「国蝶オオムラサキを護る会」が発足。同時に町は自然観察歩道を国鉄長坂駅と日野春駅を結ぶルートで開設 昭和60年、県からオオムラサキの里は「やまなしの歴史文化公園」に指定 翌61年、町のキャッチフレーズが「名水と国蝶オオムラサキの里ながさか」に 昭和63年7月、第1回名水と国蝶オオムラサキの里まつり開催 平成7年10月にはオオムラサキセンター開設ーーと続く。
その間山本有三郷土文化賞受賞(昭和62年)、環境庁「ふるさといきものの里」認定(平成元年)、建設省「手づくり郷土賞」受賞(平成2年)、そして平成14年「遊歩百選」に選ばれるなど、輝かしい歴史である。(詳細は冊子を参照)

しかし、う〜む(>_<) 、現実は真冬の八ケ岳おろしよりも厳しかった。



観察歩道ができた数年後にはゴミの埋め立て等の問題が始まったという。「それじゃ、何故いろいろ賞が取れたわけ!?」はい、私なりの心やさしい推測に基づく回答を述べます。
「遊歩百選」の巻末にあるように、自治体自らが申請しなければ受賞の対象にはならない。つまり、仕事熱心だが自分で歩かないお役人からの申請書提出。やはり自ら歩かない審査員による机上の決定。結果を「広報」で自画自賛!こうして現実が賞からかけ離れていく間、観光客からの苦情も殺到しただろう。黙々と歩きながらもの思う人もいただろう。もの言えない人ももっと多かったかもしれない。だが事態は今も何も変わっていないように見える (T_T)。。poro poro

最後にもう一言。この冊子には、町の自然のため、オオムラサキのため、木を植え尽力した民間人のことは載っていない。ゴミや産廃を巡る過去も無かったかのようだ。官製の資料は、市民としての別の視点を持って眺めたい。
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by mukai-message | 2005-04-01 12:48 | ▷ほくと景観まちづくり
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