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郷土昔ばなしが語る戦争の傷跡 供木の碑・エピローグ

「供木の話」その後 
この話がもちあがったのは昭和19年から20年のこと。当時木の選定や伐採に立ち会ったというあるお年寄りから来た手紙の要約が紹介されています。(広報ながさか N0.397 2001年4月号)

『お寺は、巨木に囲まれた中にあるから値打ちがある。木を伐ってしまえば、野っ原の中の寺になってしまう」と、伐採に反対する檀徒たちに対して、



「戦争が激しくなり、兄弟も子供も命を捧げ、すべてを差し出して戦っている。寺の木も国のために真っ先に供出してほしい」という国の強い命令で、仕方なく供出することになった。代金は、一石七円、全部で二万八千円ということだった。
昭和20年1月、伐採する木を選び、方丈さんに報告したあと、入山(いりやま)から買ってきた酒に、飼っていた鯉を肴に加護を祈った。ところが供出することになっていた木は、伐採しないうちに終戦になってしまった。檀徒たちは、「お金は返すから木を伐らないでほしい」とお願いした。しかし、「買い主に金を払ってしまったから」ということで聞き入れられず、伐採することになった。数日後、栗林に泊まり込んでいた人夫たちによって、切り倒され搬出された』
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c0041095_15343061.jpg*~* 八ケ岳南麓には巨木が少ないことに気づいた人は多いはずだ。明治の後半および昭和の戦争末期に起きた数々の自然災害(大水害)には人的背景がある。特に戦争は最大にして最悪の環境破壊であることを忘れてはならない。
杉の寿命は一般に300年程と言う。しかし樹齢1000年を越える屋久杉もある。山梨県にも樹齢伝承1200年の湯島の大杉(早川渓谷沿いの山王神社内)、北口本宮富士浅間神社の大杉(樹齢伝承1000年)、笹子峠の矢立の杉(樹齢伝承1000年)等がある。
杉の木の寿命と比べれば、終戦からの歳月僅か60年……。当時地域の「拠り所」が消えることを悲しみ、「伐らないでほしい」と山麓のあちこちで願った人々の想いを、ひとり石碑の傍らで偲ぶ。
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by mukai-message | 2005-08-16 15:42 | ○里山を守る・壊す
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